【コラム】「あいつは終わった」と言われた中村敬斗がとうとう日本代表へ。ガンバサポーターが見た、進化を決して諦めなかった才能の軌跡

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待ちわびた日本代表入り!!

中村敬斗、日本代表入り!!

この吉報を喜んだガンバ大阪サポーターは多かったのではないでしょうか。

17歳で東京の街クラブ強豪・三菱養和からガンバ大阪入りし、1年目から物足りなさはありつつ、鮮烈な輝きを放った敬斗。

それはガンバ育ちの選手達を見ているのとは、また違った感覚でした。

複数のオファーの中から、ガンバ大阪を選んでわざわざ関東からやってきた17歳。

そんな彼に

慣れない大阪で苦労しているやろうな

などと自分が初めて大阪に出てきたころなどを重ねつつ、彼が成長していく姿は、この上ない楽しみでした。

わずか1年半の在籍でヨーロッパへと渡り、苦労を重ねて日本代表までたどり着いた軌跡を、ここに記したいと思います。

まさに鮮烈! 高校2年生が日本代表を圧倒したプロ初ゴール

今から5年前の2018年。

当時17歳の中村敬斗は、ガンバ大阪に加入しました。

当時はこんなおぼこい顔してましたwww

当時のガンバといえば、2014年の3冠達成など栄華を極めた長谷川健太監督が17年限りで退任し、かつてセレッソ大阪を率いたレヴィー・クルピ監督が就任した年。

MF遠藤保仁、今野泰幸が健在で、FWファンウィジョ、アデミウソンら前線にもタレントを備えたチームは、クルピ監督の下で攻撃サッカーを取り戻すのでは、と期待されていました。

クルピといえば、セレッソ時代に香川真司や南野拓実を積極起用するなど、若手の抜てきに積極的な監督と知られていました。

そしてガンバで抜てきしたのが、中村敬斗でした。

開幕戦からベンチ入りし、3月10日、第3節の川崎フロンターレ戦でプロ入り初先発。さらに3月14日、ルヴァンカップ第2節の浦和レッズ戦でプロ入り初得点をマークしました。

当時日本代表のDF槙野をターンで交わし、ドリブルで突き進んだ後に元日本代表DF阿部をかわして決めたゴールに、アウェーの埼スタも騒然としました。

当時、クルピが

ケイトはチームで一番シュートがうまい

と語っていましたが、ウィジョもいる中で17歳のFWをそこまで評価するのか、と驚かされました。

しかしその後はやはり実力不足も露呈。強度、守備などが不足する中で、結果はなかなか残せず。

U-23での出場が増えていきました。

チームも不振で7月にクルピが解任され、宮本恒靖監督が誕生。

それでも活動は主にU-23で、シーズン終盤に再びトップチームへ。

11月24日、第33節のV・ファーレン長崎戦で先発するとJ1リーグ初得点を決めたのですが、プロ1年目は初ゴールのインパクトが最大値と、ブレークとまではいきませんでした。

翌2019年も開幕直後はU-23に。

しかし4月あたりからトップチームで出場機会をつかむと、6月22日の湘南戦、同29日の松本戦で連続アシスト。

いよいよ本格化か!?

と胸を躍らせていたところ、7月にはオランダ・エールデビジのトゥエンテへの期限付き移籍が発表に。

あっという間に、欧州へと羽ばたいていきました。

欧州での苦難、そして転落

正直、この頃の中村敬斗には、そこまで思い入れはなく。

ガンバを踏み台に、羽ばたいていった子

と言った印象が強かったと記憶しています。

トゥエンテでは、さっそくデビュー戦でゴール。

ああ、この子はすごいわ。ガンバにはおさまらん逸材やった

とどこか冷めた目で見ていた気がします。

この年、17試合で4ゴール。

まだ10代のアタッカーとしては、十分な数字に思えました。

しかしトゥウェンテには完全移籍とはならず。

当時の移籍金は50万ユーロ(約7100万円)だったと報道されており、決して高い金額ではなかったはずですが・・・

そして20-21年は欧州の日本人集合基地・ベルギーのシントトロイデンへ期限付き移籍。

遠藤航、富安、鎌田が次々とステップアップしていったクラブですので、ここで活躍して主要リーグへ、と思い描いていたのだと思います。

しかしまさかの半年で退団。しかも出場はわずか5試合で1得点のみ。

この頃には、まだ保有権を持つガンバに復帰するのでは、という噂も流れていました。

しかし行き先はオーストリア2部のジュニアーズ・・・

どこ?

終わったな

オーストリアの2部ならガンバのほうがましやろ・・・

そんな声も聞こえるほどだったと記憶しています。

オーストリア2部からの再起

しかし、彼は折れませんでした。

ガンバは宇佐美や井手口、そして食野と欧州挑戦に失敗した選手が、次々と帰ってきています。

それはサポーターとしてはうれしいこと。

しかし、心の奥底では

せっかく出ていったんやから、もっとがんばれよ!

という思いで見つめていた部分もありました。

それを体現したのが敬斗でした。

2部のジュニアーズでは、2シーズン約1年間で14試合5ゴール。

そして21年8月。

1部・LASKリンツへのステップアップをつかみ取りました。

完全移籍。

ガンバを離れて丸2年。

石にかじりついて欧州挑戦を続け、とうとうガンバに移籍金を残していったのです。

LASKリンツでのブレーク

LASKでのブレイクは、あっというまに起こった気がします。

そして活躍と同時に、起こったのがビジュアル面での衝撃的進化www

元々端正な顔立ちでしたが・・・

いやいやwww

あふれ出るスター感が・・・

すごいわ。。。

今季はLASKで公式戦14ゴール。

オーストリア1部では、南野、そしてツネ様もかつていたザルツブルクが有名。

その南野も、ザルツブルクでの最多ゴールは14点。

クラブの力を考えると、敬斗が今季残している成績が、日本代表招集に値するものだと言うことは証明されています。

なぜ敬斗に心動かされたのか

敬斗がオーストリアに流れ着いてからは、ほとんど情報がなくなった中で、スポーツ報知が何度も行ってきたインタビューで追い続けてきました。

https://hochi.news/articles/20210814-OHT1T51102.html?page=1

「今ここでプレーしていて、情報も日本には伝わりにくいと思う。僕がG大阪のサポーターなら、なんで帰ってこないの?って思う。だから僕がどういう気持ちで、ここでプレーしているのか伝えてもらえると嬉しいです」

「ヨーロッパで順風満帆にいかない時でも、私が自信を無くさずに不屈の精神でいられるのは、G大阪での経験があるからです。私は17歳でJ1リーグ開幕戦デビューを果たしましたが、その後プロとして未熟だった為、J3リーグのベンチからやり直す事になりました。今の私はG大阪でのこの経験が、自分はどんな事が起きても必ず這い上がれるという自信に繋がっています。17歳、18歳という若さで、プロとしてガンバ大阪で経験した全てが私の財産です。私はG大阪でプロになれた事を、大変誇りに思っています」

この言葉に、彼に引きつけられる理由が詰まっています。

心からおめでとう。

日本代表での活躍を楽しみにしています。

代表戦見に行きたい!!

なんとかチケット取れないか模索してみますwww

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

ガンバ大阪を深掘りし、より試合観戦やサポートをより楽しめる場所に。コラムや【忖度なき採点&寸評】で辛口甘口、ユーモアを交えつつ。 名前の由来は『Liverpool echo』より。愛するワンクラブを徹底して分析する場所を目指します。

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